大人形「桂米朝さん」  HOME  戻る

 2015年、66期生2年3組理系クラスが製作した、尼崎北高校伝統の第46代大人形。
 近年、校舎の建て替え、文化祭開催時期の変更、過去のノウハウの風化などで、大きな物が作りにくくなり、毎年生徒が努力しているにも関わらず、外野からは「最近は中人形になった」と囁かれ、新聞社の取材がなくなるのではと危機感を持っていました。
 かつての栄光を取り戻せるか? 生徒達の戦いが始まりました。
 三代目桂米朝さんは、半年前に亡くなった、落語界、そして尼崎最大のスーパースターであり、自宅が本校から2kmで、長男の桂米團治さんをはじめ、息子さん3人全員が本校の卒業生ということで、許可もいただいて作らせていただくことになりました。
 大きさは、8〜10m級だった昔の大人形の伝統復活を目指し、高さ10m、幅6m、奥行5mとしました。
 また、製作・展示中の雨対策と、環境対策として、素材の廃物利用や、再利用を考えました。
 まず、和服が長方形の布の無駄のない組み合わせで、何度でも仕立て直せることに着目し、着物を銀色と黒のブルーシートで表現しました。シートは、そのまま再使用できるように、切ったり穴を開けたりせず、自作のクランプで挟み込んで固定しました。
 顔と手は、牛乳パックのタイル構造という、非常に手間のかかる構造にしました。
 巨大な骨組みを積み上げながら和服を着せてゆくという前例のない作業は、うまくゆくのか最も不安な工程でしたが、大勢の部活生徒や職員の協力を得て、朝7時から夜9時半までかかる死闘の末に完成。暗闇の中に勇姿が描き出されました。
 一般公開当日は、米朝さんの名声のお陰で、新聞3社(朝日・毎日・産経)の取材も受け、約半日に渡ってYahooのトップページにも居座りました。
 今の若者は落語を知らないため、本校生における米朝師匠の知名度も10%程度しかありませんでしたが、「知名度が低いからこそ、大人形を通じて地元の偉人とその業績を知ってもらいたい。そのために作らなければならない」という、生徒の頑張りにより完成させることができました。
 担任の私にとっては、本校を離れ、再び戻って来て、第19代大人形以来、27年振りの挑戦でした。(上の写真は27年前と同じレンズで撮りました)
 教師主導で牽引すればスムーズに進むでしょうが、失敗は想定の上でまずは自由に取り組ませてみました。往復9kmの道をリアカーで材木の買い出しに行かせたり、文明の利器を使わせずに無茶もさせました。
 自分達の作ったものが人々を驚かせ笑顔にしたこと。学校中のみんなで力を合わせて大人形を上げたこと。閃きや工夫、努力や協力。
 生徒達は、このものづくりから、何を感じてくれたでしょうか。


"giant doll" produced by 2-3 and E.Yoshida