仁義なき生存競争  HOME  戻る

「生き物だって助け合って生きているんだよ。イソギンチャクはクマノミを敵から守り、クマノミはイソギンチャクの掃除をしてあげる。また、アリはアリマキを守り、アリマキはアリに甘い分泌液をあげる。」子どもの頃、先生の話で、みんなの心が温かくなった憶えがあります。
 これらは共生の例ですが、生物の世界には、逆に私たちの道徳観からすると、とんでもないことをする者も多くいます。
 カッコウは、モズなどの巣に卵を産み、産まれた雛は自分の卵を温めてくれたモズの卵を巣から落として殺し、ちゃっかり自分だけがエサをもらって育ててもらいます。恩を仇で返すこの作戦は托卵(たくらん)と呼ばれ、鳥以外に魚にも、口の中で卵を守る魚の口や、敢えて天敵の魚のなわばりに自分の卵を産んで守らせる者もいます。
 また、ハリガネムシはカマキリに寄生して成長し、脳を支配したかのようにカマキリを水辺に誘導して脱出して水中で産卵します。カタツムリの寄生虫は、カタツムリの触覚を膨らませて芋虫のようにし、目立つ場所に誘導して、カタツムリを鳥に食べさせて鳥の体内に侵入して寄生し、鳥の糞の中に卵を産み、遠くに運ばれて糞とともに排出され、カタツムリに食べられて再び寄生します。
 これらの行動は、我々から見れば非人道的で、卑怯で恐ろしく思えますが、遺伝子に組み込まれた本能によるもので、彼らの意思ではないと考えられます。昔、このような行動をとった変わり者の生存率が高く、その性格を持つ遺伝子が子孫に受け継がれたのでしょう。厳しい生存競争の中で、生き残る確率を上げるために進化した結果、ある者は仲良く共生し、ある者は侵略者のように寄生しているに過ぎず、善悪を意識した行動ではありません。また、善悪とはヒトの尺度であって、私たちの細胞を侵略して自分を作らせるウイルスの視点に立てば、加熱して仲間を皆殺しにする私たちの方が卑怯なのかもしれません。
 私たちヒトは、本能ではなく、知能によって考えて行動する生物で、自分達自身の繁栄を妨げる行動をとる力も持ちました。そこで繁栄を続けるために、道徳や正義、悪といった基準を定め、行動を判断する必要が生じました。この基準は国や人によって異なり、権力者に利用される危険性もありますが、地球環境問題などを考えるとき、私たち一人一人の行動や判断がヒトの生存率を左右するのは確かなことでしょう。
 反道徳的とも言える本能行動によって生存率を上げ、たくましく生き残っている生物の凄まじさを知るとき、本能ではなく、考えることによって生存率を上げなければならない、ヒトという生物の困難と可能性の大きさを感じます。

※この文章は、生物Iの授業で話した内容をまとめたものです。
化学教育兵庫サークルに校正、編集していただき、2010年5月に神戸新聞「理科の散歩道」に掲載されました。

Ikimono-Note by E.Yoshida