老後の意義  HOME  戻る

 有性生殖を行う生物はその代償として永遠の命を失い、寿命という制約を背負うようになったという話を以前しました。このため、遺伝子を残す目的に限定すると、生殖期を終えた個体に生きている価値はなく、逆に、生殖前の若い個体と食料が競合するなど、やっかいな存在にさえなります。
 実際に、生殖を終えるとすぐに死んでしまう生物も多く、たとえば、川を上ったサケは、メスは産卵、オスは射精するとすぐに死んでしまいます。また、カマキリのオスは交尾の最中にメスに食べられて産卵のための栄養になる危険を背負います。チョウチンアンコウの一種ではさらに徹底しており、精子を作り出す価値しかないオスの体は非常に小さく、メスのお腹にくっついて寄生生活し、受精が終わるとメスの体内に吸収されて消滅してしまいます。
 有性生殖は、遺伝子を混ぜ合わせることで進化の可能性を広げましたが、生殖を終えた個体が残る、精子を作るだけのオスが存在するなど「無駄」が多いシステムであるため、この無駄をできるだけ少なくするために残酷な運命が与えられているのかもしれません。
 生殖期を終えた後の役割として次のような話もあります。迷彩模様をもつあるチョウは生殖を終えると暴れてエネルギーを使い果たしてすぐに死ぬそうです。これは、自分が天敵に見つかると迷彩模様を見破られて記憶され、子孫が食べられる危険が増加するからだといわれます。
 これらの生物の厳しい生き様と比べ、私たちヒトは、生殖期を終えても、また、生殖を行わなくても、長く生き続けることができる珍しい生物です。
 哺乳類としての育児、高い知能による教育、築いた社会の中で食料を得るための労働などで、生殖期を終えた後も子孫のために生き続ける必要性が生じたこともあるでしょう。しかし、子が巣立ち、定年退職を迎えてもなお、多くの人に与えられる長い老後の意義は何でしょうか。
 単に、医療や食の進歩で生じた生物としては余分な時間とも考えられますし、武器を操る知能を得たヒトにとっては野生動物のような弱肉強食がむしろ不利で、皆が生き続けてほしいと願う「愛」に支えられた時間かもしれません。
 ただ、老後が生物として種の繁栄に有利な理由があるとすると、「文化」の継承が考えられます。次の世代が生きやすい環境を作ることもヒトという生物には必要で、それには年配者の知識や経験が生かされるからです。
 ヒトという特別な生物に与えられた特別な時間「老後」。
 若い保護者とともに小学生の登校の交通安全指導をされている大勢の年配の方々。日本のどこででも見られる朝の風景に温かさを感じ、筆をとりました。

※この文章は、生物Iの授業で有性生殖について話した内容をまとめたものです。
化学教育兵庫サークルに校正、編集していただき、2010年3月に神戸新聞「理科の散歩道」に掲載されました。

Ikimono-Note by E.Yoshida