イラスト 尼崎西高校 糸数明日香


生きることの意味  HOME  戻る

 脈拍を刻み、体温があり、動くことができる私たちの体は、石や金属とは明らかに異なり、何か特別な不思議な力が宿っているように思われます。
 このため、人は粘土の人形に神様が息を吹き込んで生まれたとも考えられ、古代ギリシャ時代には、生物は非生物よりも複雑で物質を超えた神秘的な力をもつとされていました。偉大な科学者アリストテレスでさえ、下等な生物は物質が「生命の素」に触れて自然発生すると考えていたのです。
 この考え方は長い間続き、生物の体は「生気」なしには作れないものとして、生物が体内の生気を用いて作る物質を有機物と定義していました。
 しかし1828年にウェーラーが無機物から有機物である尿素を合成し、その後、多くの有機物が人工的に合成されるようになりました。
 こうして、有機物の合成に生気なるものが不必要であることが分かり、呼吸などの生命活動が化学反応で説明されるようになりました。また、DNAという分子による遺伝の仕組みも解明され、やがては脳による精神活動でさえ分子レベルで全て説明できる日が来ると考えられています。
 私たち生物が単なる分子からなり、生気をもつ特別な存在でないとすると、生命とは一体何なのでしょうか?
 雪の結晶は、まるで現場監督が存在し、その指示で工員が組み立てているかのように整然と美しく成長してゆきます。生命の誕生もまた、原始地球に生じた有機物の中に自分で複製できる分子が誕生し、それが変化する中で、複製が続く確率の高いものが残った結果、複製する分子はDNAに落ち着き、細胞という基本構造をもつようになり、私たちにまで進化したと考えられます。
 ドーキンス博士は、有名な著書「利己的遺伝子」の中で、遺伝子という分子が生命の主役で、生物体は遺伝子を乗せる舟にすぎないと説明しました。
 宇宙や生命の営みには目的や意思はなく、確率が高い方向に流れているだけかもしれません。そして、私たちの生命活動が単なる化学変化でDNA分子の複製を支えているだけだと思うと、人生の意味も空しく感じられます。
 しかし、今、考える自分がここに存在することも確かです。そして、人類の考える力は、自分を作る分子や反応、その起源を考え、自分たちが複製してきたDNA分子を組み換えるまでに発達しています。また、私たち地球生命の滅亡、つまり40億年間も続いてきたDNA分子の複製の終了に向かって暴走しないように考えてゆくのもまた、私たち自身です。

※この文章は、化学Iの有機化学の授業で、教科書コラムの「生気論」について話した内容をまとめたものです。
化学教育兵庫サークルに校正、編集していただき、2010年6月に神戸新聞「理科の散歩道」に掲載されました。

Ikimono-Note by E.Yoshida